『環境と正義』 Victory 2001

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2001.10.30 追加 

■このページの目次
No.38.2001.2 3月号
 吉永町産廃問題訴訟で住民側の補助参加を認める画期的決定下される
           則武 透(岡山弁護士会・吉永町産廃事件全国弁護団事務局長)

No.39.2001.3 4月号
 ポンポン山訴訟で住民勝訴の判決出る
               森川明(京都弁護士会)

No.41.2001.5 6月号-1 2001.06.03
 「和歌山市雑賀崎沖埋立計画の完全中止を求めて」 雑賀崎の自然を守る会

No.41.2001.5 6月号-2 2001.06.03
 「川辺川ダムをめぐる漁民らの闘い」 寺内大介(熊本県弁護士会)

No.42.2001.6 7月号 2001.08.01
一条山問題全面解決へ〜一条山全面開発許可は撤回  飯田 昭(一条山弁護団事務局長)

No.43.2001.7 8-9月号 2001.08.01
 12年のたたかいに幕 〜尼崎公害訴訟、国・公団との和解成立〜  西田雅年(兵庫県弁護士会)

No.44.2001.9 10月号 2001.09.23
「自然環境権法制化の国会請願の採択について」  池上 徹(兵庫県弁護士会)

No.45.2001.10 11月号 2001.10.30
奄美大島瀬戸内町焼却施設反対闘争の経過と今後
鹿児島地裁名瀬支部平成13年(ヨ)第1号 建設工事禁止仮処分申立事件01.09.22 
                   高橋謙一(福岡県弁護士会)

No.46.2001.11 12月号 2001.12.03
幡豆町土砂採取場事件
        籠橋隆明(名古屋弁護士会)

     

No.38.2001.3
吉永町産廃問題訴訟で住民側の補助参加を認める画期的決定下される
   事件番号 H12.行ク 2号 岡山地裁
       弁護士 則武 透(岡山弁護士会・吉永町産廃事件全国弁護団事務局長)

一、事案の概要
 本事件は、産廃業者株式会社スリーエー(以下「スリーエー」)が行った産業廃棄物最終処分場許可申請に対して岡山県知事の下した不許可決定を不服として、スリーエーが岡山県知事を被告として同不許可処分の取消を求めた訴訟(以下「基本事件」)に、吉永町民3524名が被告岡山県知事を補助するために補助参加を求めた事件である(吉永町産廃問題を巡る具体的経過に関しては既に「環境と正義」99年11月号に河田英正弁護団長が寄稿しているので省略する)。
 訴訟の経過は、99年8月にスリーエーが基本事件提訴、99年12月に吉永町民3524名が補助参加申立、00年4月に吉永町も補助参加申立、数回の口頭弁論、進行協議を経て、00年10月18日にほとんどの吉永町民・吉永町の補助参加を認める決定が下された。

二、補助参加人らの主張
 これまで産廃処分場の許可権を持つ自治体の長が住民側に有利な判断をしたことがあまりなかったこともあり、業者が県知事を被告とした裁判で住民が県知事を補助するために参加を求めること自体、先例もほとんどなかったものと思われる。筆者が知る範囲では、三重県長島町において住民が行政事件訴訟法22条に基づく訴訟参加申立を行ったが却下されたとの先例を知るのみである。弁護団は、補助参加申立にあたり、こうした裁判所の現状からすると基本事件でも補助参加が最終的に認められる可能性は乏しい、従って補助参加が却下されるまでの間、住民側として主張・立証を尽くそうとの方針で申立に臨んだ。なお、被告県知事の本件不許可処分の理由は、(1)水道水源などの安全性確保に支障を来すおそれがあること、(2)事前協議が未了であり地元吉永町との合意形成がなされていないことの2点である。
 そこで、決定が下されるまでの間の約10ヶ月間で、計8通の準備書面、60に及ぶ書証を提出し、主に事前協議未了の問題、降雨量 データの分析に基づく水道水源に与える危険性の主張などを行ってきた。
 補助参加の理論的問題についても、民事訴訟法学者の協力も得ながら精一杯の主張を展開した。平成9年改正前廃掃法の解釈として周辺住民の個別 的利益をも保護したものとの解釈に立って焼却場の周辺住民の原告適格を認めた横浜地裁が99年11月に下されたことも十分に活用させていただいた。しかし、補助参加の利益の判断に際して訴訟物(判決主文)の存否の判断が参加人の地位 について論理的に前後関係にあること(先決関係)を要求する伝統的通説の立場からは、本件で補助参加が認められることはまず困難であろうというのが弁護団内部での大方の予測であった。裁判所は00年10月18日の進行協議期日までに訴訟参加の可否についての判断を下すと言明したこともあり、吉永町民も約10万人にも及ぶ公正判決署名を裁判所に提出するなどの努力を続けた。

三、画期的な岡山地裁決定
 ところが、進行協議当日、弁護団自身の予想をも遙かに超える画期的な決定が下された。岡山地裁決定の内容は、補助参加の判断の枠組みはほぼ補助参加人らの主張に沿ったものであり、「訴訟の結果 とは、判決主文で示される訴訟物に対する判断のみならず、判決理由中の判断も含まれ、利害関係を有するとは、第三者たる補助参加人の法律的地位 ないし法律的利益に事実上の影響があれば足りる」とし、「誰もが、人として生存する以上当然に認められるべき本質的・基本的な権利である人格権の一つの内容として、個人の生命・身体を侵害されることなく安全に生活できる権利を有しており、水道施設における水源地及び供給水の水質の汚染が防止され、その安全性が確保された飲料水の供給を受けることにより、その生命・身体の健康をみだりに侵害されないという法律的地位 ないし法律上の利益を有している」とした上で、「ところが、仮に、本件事件において、本件不許可処分が違法であると判断されて被告が敗訴した場合、…本件処理施設が本件予定地に建設・操業される蓋然性が極めて高くなる。そして、仮に、本件処理施設が操業に至り、その結果 本件処理施設から排出される水が、本件予定地の周辺の水道施設の水源地及び供給水を汚染し、その水質を悪化させ、右供給水の給水を受ける住民の生命・身体を侵害するものであったとすれば…補助参加人らの法律的地位 ないし法律的利益に事実上の影響が生じるものと解することが出来る」と述べた。その上で、本件へのあてはめとして、処分場予定地との関係で水源の違う一部地区(多麻、加賀美、笹目)住民を除く3322名の住民及び吉永町に参加許可を決定したものであった。
 吉永町民は、住民投票、岡山県知事の不許可決定、厚生大臣の不許可を維持する裁決と、これまで不可能を可能にしてきたが、今回は更に裁判所の厚い壁をも破ったことになった。

四、今後の展望
 この岡山地裁決定が下された後、スリーエーはこの決定を不服として、広島高裁岡山支部に即時抗告を直ちに行った。現時点では抗告審の決定は下されていないが、補助参加人らに送達の手続きも行われていないことからすると、高裁も岡山地裁決定の結論を維持する可能性が高いものと思われる。補助参加人らとしてはこのまま抗告審は何の訴訟活動もせずに放置するとの選択もあるのだが、先日の弁護団会議で住民の運動の中だるみを防止し、スリーエーの息の根を止めるために抗告審でも十分な反論を行うことになった。現在、吉永町民は抗告審の訴訟委任状を3000名を超える規模で集めている。なお、つい先頃、最高裁が株主代表訴訟で被告取締役に会社が補助参加することを認める決定を下した(平成13年1月30日最高裁第1小法廷決定)。少数派の株主が会社の利益のために会社を代表して違法な意思決定や執行を行った取締役に損害賠償を請求するという株主代表訴訟の構造上、会社の取締役側への補助参加を認めることの是非の問題はあるが、補助参加一般 の理論としては、厳密な意味での判決主文との先決関係がなくとも補助参加の利益を肯定したという意味で、環境型参加訴訟に十分に活用できる判例である。抗告審ではこの最高裁決定も追い風として活用し、上級審での新たな地平を開拓していきたい。また、基本事件自体も、現在ほぼ主張が出尽くした段階にあり、本年4月には他の稼働中の処分場の見学(検証ではなく事実上の見学として)が予定されており、その後は立証段階に突入することになる。
 これからの21世紀は、裁判所も従来の伝統的理論を乗り越え、環境型訴訟での原告適格や訴訟参加の枠組みを大きく緩和すべき時代である。本決定は、そのような時代を先取りした先例である。是非、他の類似訴訟でも積極的に活用していただきたい。



No.39.2001.4
 ポンポン山訴訟で住民勝訴の判決出る
       事件番号=京都地裁平成五年(行ウ)第9号
               森川明(京都弁護士会)


 京都地方裁判所(八木良一裁判長)は本年1月31日、京都市民3800人余りが提訴していたポンポン山訴訟で、元市長に金約4億7000万円を京都市に賠償することを命じる判決を言渡した。

1事案の概要(本件は以下の通り特異な経過をたどって発生した)
 ポンポン山とは、京都市の西南端、高槻市との境にある、貴重な動・植物の生存する山である。
 開発業者がバブル末期にこのポンポン山で約135万平方メートルを買収し、18ホールのゴルフ場を開発しようと計画した。これに対し京都市と高槻市の住民の反対運動が大きく前進し、この結果 京都市は平成4年3月開発を不許可とした。ところがその直後開発業者は京都市相手に違法な行政処分により損害を蒙ったとして、金80億円の支払いを求める調停を申立てた。その後短期間に調停期日が重ねられ、この間に京都市は任意で1社のみに不動産鑑定を依頼し金47億円との鑑定結果 を得た。その上で早くも5月8日に簡易裁判所が民事調停法17条に基づき、京都市に対し金約47億7000万円で用地を買収することを命じる決定を下した。市は異議申立期間の経過する直前に市議会に異議申立しないとの議案を提案し、実質僅か数日の審議で可決し、同額で買収した。
 この金額が余りに高額であったことから、多数の京都市民が監査請求に続いて提起したのが本件訴訟である。原告住民は当時の市長と開発業者を被告として、適正価格との差額金40億円余りを京都市へ支払うことを求めた。京都市は(元)市長側に補助参加した。

2判決内容
 判決は、跡地の適正価格は高くても金21億円までと認定し、首長の裁量の範囲をその適正価格の2倍までとした上で、これを超える金額の支出が違法となり、元市長はこの額を市に支払え、としたのである。

3判決の意義
(1)あらためて、議会の議決があっても首長の責任を免責することになるのではないと明言した点は、法を改悪して、議会の議決があれば住民訴訟を起こせないようにしようとする動きに対する牽制となる。
(2)確定した決定があり、首長は公金の支出を義務づけられるのであるから財務会計行為ではないと被告側が主張していた点についても、退けた。判決は、金額が高すぎたのであるから、首長としては異議を申立てる義務を負っていたのであり、これをしなかったのは、裁量 の範囲を逸脱し、権限の濫用で、違法な財務会計行為となると判示した。この点は初めての判例ではないか。
(3)市の不動産取得に関する規則によれば、買収金額について不動産評価委員会に諮らなければならなかった。この点について市側は調停で決まる場合は例外にあたると主張したが、判決はこのようなやり方は内部手続きにも明らかに違反すると断じた。各自治体で同じような内部規則がある筈である。
(4)適正価格の2倍までを裁量の範囲の限界とした点は、一応良い方の判例といえるであろうか。しかし、ともかく金額が何十億円という高額であること(2万円のものを4万円で買うのとはわけが違う)、手続的に巧妙で悪質であることなどを考慮すれば、裁量 の範囲はもっと厳しく判断されるべきであった(尤も、違法な支出とならなくとも、金21億を超える大金が少なくとも無駄 な支出であったということが明白となり、この点は住民の運動にとっては重要な意味を持つ)。
開発業者にたいする請求を棄却したのも、不十分である。
(5)判決は、自治体が用地を買収することについては、(1)手続き、とりわけ金額の決定過程に透明性を求め、(2)買収する目的(用地利用)については具体的で明確になっていることが必要とし(住民の跡地利用についての合意が成熟することも)、(3)なにより議会や市民に対し説明責任を十分に果 たすことを求めている。
 この点では、無駄な公共工事や税金の無駄使いに対し厳しく警鐘を鳴らすものとなっている。

4住民の運動の状況
 京都市が本件ゴルフ場の建設を不許可とした時、住民はこれで大文字山に続き市内でゴルフ場の息の根を完全に止めたと喜び合った。その後あれよあれよという間に京都市の跡地買取が決まってしまった。たしかに住民はゴルフ場建設に反対する運動を展開している際は、京都市に対し用地を買収することを要求の一つとして掲げてはいた。しかし本件買収はあまりに不明朗なことが多く、これを先例として定着させてはならないという共通 の思いがあった。
 住民組織は「ゴルフ場建設に反対する会」から「買収疑惑を追及する会」へと続き、訴訟を進めるなかで、多数の住民が手分けして調査を続けた。この結果 、開発業者が市に提出した事業計画概要書では取得価格は金21億円とされていること、開発業者の地権者との売買についての国土法に基づき市が発行した不勧告通 知書では、最も高いもので1ヘーベ当り金1515円であること(これだと全体で約金20億円)、市依頼の鑑定人はあるゴルフ場開発会社の役員であり、この鑑定書で引用された取引事例はいずれも本件のごとき山林の取引事例の参考とすべきでないものであること、簡易裁判所の決定の案文は市側が作成し、添付図面 は開発業者が提出するなど、いわば両者の合作であること、等等が次々と明らかになってて来た。疑惑が解明される毎に、住民は怒りを新たにし、勝訴への自信を深めていった。

5今後の課題
(1) 金の流れを解明する必要がある。開発業者の背後には自民党の有力議員の金脈企業がいた。市民の血税が最終的にここを通 じ自民党議員に流れている可能性が高い。
(2) 跡地は森林公園となった。住民は「疑惑を追及する会」と併行して「自然を守る会」をも結成し運動を拡大している。住民参加で、自然と触れ合う利用方法を具体化するのはこれからである。
(3) 双方控訴し高裁で仕切り直しとなった。違法支出の範囲を拡大し、開発業者の責任を追求したい。





No.41.2001.5 6月号-1
  和歌山市雑賀崎沖埋立計画の完全中止を求めて   (※機種依存文字「?」「?」「?」「?」を確認中)

雑賀崎の自然を守る会
 
私達が暮らしている和歌山市雑賀崎(さいかざき)は、西方の海に広がる美しい景観や、青石でできた自然の磯や、輝きながら海に沈んでいく夕日が見られるところです。瀬戸内海国立公園内にあり、万葉集にも詠われた景勝地です。昔から漁業が盛んなところで、釣のメッカでもあります。また、お彼岸の中日には、沈み行く夕日から ?ハナ(花)がフル(降る)? のを見る不思議な風習も残っています。
一九九七年九月、和歌山下津港・港湾計画(改訂)が県地方港湾審議会で承認されたという新聞記事で、私達は初めて雑賀崎沖一一七?を埋め立てる計画を知りました。地元住民にとって寝耳に水のこの計画に対し、地区始まって以来の大事件といった感じで、右往左往しながら、雑賀崎地区連合自治会と雑賀崎の自然を守る会が手を組み反対運動を起こしました。わずか二週間で六万五千二十二人の署名が集まり、市民の応援も心強いものでした。和歌の浦観光旅館組合や全国の文学者などからも相次いで反対の声が上がりました。
こうした反対世論の高まりの中で、一九九七年十一月の運輸省港湾審議会では、環境庁の「瀬戸内法に抵触するので、景観面 から再検討を」と言う強い意見があり、和歌山県に差し戻しになります。県は、一九九八年五月から景観面 の検討をするとして景観検討委員会を設置し、翌九九年五月、この委員会で埋立面 積七四?の修正案が承認されます。埋立計画を前提にして行われる景観検討委員会にはむなしいものを感じていましたが、許しがたいのは議論の内容です。景観を問題とする場合の水平方向の静視野は六〇度とされているのに、水平方向が一五〇度もあるフォトモンタージュを使った恣意的な印象実験が行われ、そのような実験で得られた資料を元に議論されるなど、とても専門家の検討委員会とは思えないものでした。行政の思う通 りの結論を導き出すため、都合の良い資料を作り、意に添った意見を述べる、このような図式がありありでした。六月二十一日に県の港湾審議会がありましたが、これも三十分ほどの不十分な審議で型どおりに「修正案」が承認されるというものでした。輸入木材の増加予測が今回の埋立=港湾造成の理由になっていますが、近年は急減しており(一九九七年三十二万?、一九九八年二十四万?、一九九九年十六万?)、二〇一〇年代に八十万?になるという需要予測は、現実からかけ離れた過大なものです。しかし、景観検討委員会でも、県の港湾審議会でもこうした必要性に関する十分な議論がなされないのです。
七四?の「修正案」は、県の港湾審議会で承認されたのを受けて、九九年七月十九日に運輸省の港湾審議会に諮られます。この日、私たちは、審議の傍聴を要望しましたが、事務局(運輸省港湾局)に拒否された上に、一時地下の和室に ?軟禁? されるという出来事もありました。この日の雑賀崎沖埋立計画に対する審議は、中央港湾審議会としては異例の一時間四十分にも及び、多くの委員から埋立計画に対する疑問が出され、地元住民が反対していることから、和歌山県に再度差し戻すべきであるとの強い意見も述べられました。結局、環境庁が事実上容認する意見を述べたこともあり、和歌山地方港湾審議会の承認を経てきたものであるなどという理由で承認されることになりましたが、「地元関係者の理解を得るように…」という再度の異例の付帯条件が付けられました。前代未聞のことです。
この後、港湾計画が決定されたということで、住民運動としては難しい局面を迎えることになりましたが、それでも諦めずに運動を続けようということで、必要性や環境アセスメント更には財政的な問題についてもっと詳しく調べてみることにしました。所謂住民による戦略アセスメントに取り組むことにしたのです。調べれば調べるほど問題点がはっきりしてきました。運輸省の港湾審議会に景観予測図として提出され、埋立地が遠く小さく見えるように作成されたフォトモンタージュに関しても、その問題点を視野のトリックや鑑賞距離のトリックとして理論的に説明できるようになりました。
しかし、和歌山県は、私たちの声にいっさい耳を傾けようとせず、昨年二月には埋立計画を二分割して早期の実施を図り、アセス法を免れるかたちで「環境調査」費を計上する挙に出てきました。これに対して、私たちは予算計上を取り下げるように要求し、和歌山市民からは、アセス法を適用せずに行われる「環境調査」は違法であるとして、住民監査請求が出されました。また、国会でも和歌山県は住民理解を得る努力を全くしていないとの厳しい追及がなされ、当時の港湾局長や運輸大臣が答弁に窮するような場面 もみられました。批判が高まる中で、昨年五月、和歌山県は、当初考えていた運輸省に対する補助金要求を断念せざるを得なくなりました。
この後は、これまで埋め立て計画推進の先頭に立っていた知事や政治家が次々と辞任したり、選挙に落選したりで、舞台から去って行きました。この間、七月には監査請求を棄却された市民によって「環境調査」費の執行停止を求める住民訴訟が提起され、また、国会での追及もなされました。こうして全国的な注目度も急速に高まりつつある中で、昨年十月五日、木村新知事は、「環境調査」費の執行見送りを明言し、事実上埋め立て計画を凍結しました。まだ計画は亡霊のように残ったままですので、今後も中止になる日まで運動を続けてゆきたいと考えていますが、あきらめずに運動してきた甲斐もあったというものです。
ところで、これまでの経過を通じて思いますのは、私達の知る権利はどの程度保障されているのかということです。私たちが埋立計画を知ったのは県の港湾審議会終了後で、しかも新聞報道によるものでした。和歌山県の一貫した姿勢は、公開すると困る情報は非公開(その存在を秘密にすることを含めて)とするというもので、知りたい情報がなかなか手に入りませんでした。今後は、情報公開法の施行を機に、住民への情報公開と説明責任及び住民参加に対する行政姿勢の大きな変革を切実にのぞみたいと思います。こうした点での行政姿勢が変われば、埋立計画の完全中止も当然の結果 として現実のものになると思うからです。

「雑賀崎の自然を守る会」ホームページ
http://www.infonet.co.jp/Aso/s_manyo/index.htm



No.41.2001.5 6月号-2
 川辺川ダムをめぐる漁民らの闘い

   弁護士 寺内大介(熊本県弁護士会)

 時代遅れの川辺川ダム

 川辺川ダムは、計画が発表されてから三五年、熊本県議会でその「基本計画」が承認され建設事業がスタートしてからでも二五年が経過している。
 この間、千数百億円が投入され、取り付け道路や代替地造成など関連工事は進んだが、ダム本体にはいまだ着工できないでいる。
 これは、一七年間に及ぶ五木、相良両村民の法廷闘争も含む粘り強い反対運動と、流域住民を中心とする県民、国民の反対運動の成果 である。
 と同時に、計画発表以来三五年間の球磨川・川辺川を取り巻く環境の変化、農業情勢の変化で「ダム基本計画」で掲げられた「治水、利水、発電」のいずれの目的もが破綻したことの反映でもある。
 さらに、クマタカをはじめとする貴重な動植物や、全国に誇る「尺アユ」、川下りなど豊かな恵みを与えてくれる球磨川・川辺川のすばらしい自然に壊滅的な打撃を与えることが誰の目にも明らかになってきたからに他ならない。
 そうした流域住民の不安が決して根拠のないものでないことを、今回の有明海のノリ被害は雄弁に教えてくれた。

 川辺川ダム問題の現段階

1 ダム本体建設
 (1) 球磨川漁協の闘い
 国土交通省は、川辺川・球磨川に漁業権を持つ球磨川漁業協同組合との漁業補償契約締結(漁業権放棄の同意)さえできればダム本体工事に着工できるとして、この間、球磨川漁協に対する働きかけに全力を挙げてきた。
 一方で、漁業権の強制収用のための事業認定を行って脅しをかけつつ、他方で、漁業補償契約を締結するよう激しい働きかけを行ってきた。ところが、球磨川漁協は、その圧力をはね返し、二月二八日の通 常総代会で漁業補償契約案件を否決し、国の「年度内本体着工」のもくろみを見事に打ち砕いた。
 (2) 八代海沿岸漁協の闘い
 川辺川ダム建設に対する不安の声は、諫早干拓の水門閉めきりと有明海のノリ被害を関連付けて見ている八代海沿岸漁民の間にも広がり、八代海沿岸の三七の漁協が国土交通 省に「川辺川ダム建設が八代海漁業に及ぼす影響調査」を要求し、国も一定の調査を約束せざるを得ない状況になっている。
 (3) 熊本県や議会の変化
 これまで「川辺川ダム推進」一辺倒だった熊本県や地方自治体議員の間にも一定の変化が起きている。
 人吉市の今年三月議会では、ダム本体着工に大きくブレーキをかける「環境影響評価法に基づく環境アセスメントの実施」を求める決議を賛成多数で可決し、議会としての「ダム建設促進」の姿勢を大きく転換した。
 また、二月県議会では自民党のベテラン県議が川辺川ダム問題に真正面から疑問を投げかける質問を行い、波紋を広げている。
 さらに、球磨川漁協の漁業権補償契約否決後の記者会見で、潮谷義子熊本県知事は「漁協の決定は重く受け止める。強制収用は地元に無用の混乱を招く。国には粘り強く話し合うよう要望したい。」とダム本体着工の早期着工に慎重な姿勢を示した。
 (4) 住民投票を求める声
 流域住民の間でも新しい動きが始まり、八代郡坂本村と人吉市で、川辺川ダム建設問題の「住民投票」を求める運動がスタートした。

2 国営川辺川土地改良事業(利水事業)
 (1) 利水訴訟控訴審
 土地改良事業は、すべて対象農家の三分の二以上の同意が土地改良法で義務づけられている。
 国営川辺川土地改良事業について約三九〇〇戸の対象農家のうち、約二〇〇〇戸が「同意のハンコを押した覚えはない。」「水代はタダだと騙されて押したものだから無効だ。」「農産物の輸入自由化による減反政策で、後継者もおらず、ダムの高い水はいらない。」などと訴えていた川辺川利水訴訟で、昨年九月、熊本地方裁判所は、対象農家の約半数の意思を確認しないまま「七五%以上の同意がある。」として、原告農民の訴えを棄却した。
 農水省を違法行為を救済した不当判決に原告の約九割が控訴し、五月から福岡高裁を舞台に闘いが続けられている。
(2) 利水事業辞退届
利水訴訟と並行して、「利水事業辞退届」を提出する農家も増え、その数は、裁判に関わっていない農家を含め約八〇〇戸にのぼっている。
 有害無益な事業のための私有財産の取り上げ(強制収用)には一片の道理もない
1 組合員の意思は「漁業権放棄にノー」
 球磨川漁協総代会での票数は、賛成五九、反対四〇で、法(水産業協同組合法)で定められた三分の二まであと七票というきわどい票差のようにも見える。
 しかし、昨年行われた約二〇〇人の全組合員に対するアンケート調査では、回答した組合員の約六割が「漁業権放棄に反対」と回答しており、総代会の決定は、組合員多数の意思に沿ったものである。
 組合員多数の意思を無視し、漁民の生活の基盤である漁業権を強制的に取り上げるなど、民主主義に逆行する時代錯誤の暴挙と言わなければならない。
2 川辺川ダムは、今や完全にその目的を失った「無駄な大型公共事業」そのものである。そのうえ、環境庁が「水質日本一」の折り紙を付けた清流や、絶滅危惧種に指定され保護が義務づけられているクマタカをはじめとする貴重な動植物、全国に名を馳せた「大アユ」や「球磨川下り」などかけがえのない人吉球磨地方の財産に取り返しのつかない打撃を与える有害無益な事業である。このような事業のために強制収用を発動するなど一片の道理もないのである。


 No.42.2001.6 7月号 2001.08.01
一条山問題全面解決へ〜一条山全面開発許可は撤回。
山は小ぶりになるものの、かろうじて守られた

          弁護士 飯田 昭(一条山弁護団事務局長)

1.京都市左京区岩倉の「岩倉五山」の一つである一条山は、業者の違法開発により「モヒカン山」として京の乱開発、景観破壊の象徴として全国に名をはせてきました。
一条山は、閑静な住宅地にある里山であり、風致地区ではあるものの、風致地区第3種指定に止まり、市街化区域であったため、業者(ナカサン)が開発して住宅にすることを計画しました。これに対し、「浮島のような山の形を残すべき」とする京都市美観風致審議会(小委員会)の答申が出され、その結果 、市は1981年12月に山の中央部をそのまま残して周囲を開発するという開発許可(旧許可)を与えました。
ところが、業者は82年の暮れ頃から、開発条件(旧許可)を無視して、山を全部削り取ってしまおうとし、83年2月に市が工事中止命令を出して工事が中止された時点では、山は「モヒカン刈り」の状態になってしまいました。
京都市は本来是正命令を出すべきでしたが、是正措置を指導しました。それも当初は原状回復に近い是正案でしたが、密室の協議の中で何時の間にか一条山の全面 開発を認めるかわりに、宅地としての価値が劣る北側の20パーセントを公園として市に寄付させるという再開発許可にすりかわってしまい、市民の批判や京都弁護士会の意見書も無視して、89年12月には再開発許可(2次許可)を与えてしまいました。
但し、この時点で京都府は森林法に基づく林地開発許可を与えることは、留保しました。
2.住民側は、これに対し、2375名が審査請求人団を結成し、京都市開発審査会に開発許可の取消を求めて、審査請求を行い、京都弁護士会の弁護士33名が「一条山弁護団」を結成して、これを支援しました。
京都市開発審査会は、12回に及ぶ公開口頭審理及び現場検証を行い、阿部泰隆神戸大学教授(行政法)、木村春夫京都教育大学教授(国土問題研究会)などの参考人質問を含む住民側、行政側の詳細な尋問を行い、審理を尽くしました。その結果 、審査請求人のうち一条山の近辺に居住する約500名の審査請求人適格を認めたうえ、1992年3月26日、開発許可を取消すという、市民常識にかなった画期的な裁決を下しました。その要旨は、是正のための開発許可は、@できるだけ山の形を残す、Aできるだけ緑を残す、B業者に不当な利益を与えない(クリーンハンドの原則)ことが必要であり、京都市の山の全面 開発を認める再開発許可は、権限逸脱・濫用で違法とする明快なものでした。
 ところが、京都市は審査会の裁決に基づき業者に是正を求めることを怠り、業者の建設大臣に対する再審査請求を放置しました。その結果 、建設大臣は全くの密室審理の下で、1994年12月に、「住民には審査請求人適格がない」という不当な理由で、開発審査会裁決を取消してしまいました。このため、住民のうち市開発審査会で審査請求人適格を認められた446名の「一条山原告団」は、「一条山訴訟を支援する会」の支援を受けて、95年3月、改めて開発許可取消訴訟を京都地裁に提訴し、裁判(業者は被告京都市長に補助参加)は本年3月21日に原告本人尋問が予定されて、いよいよ大詰めを迎えていたところでした。
3.裁判所においては、行政訴訟というわが国では勝ちにくい形態であるため、本案の争点(権限逸脱・濫用の違法性及び都市計画法33条1項3号、7号、9号、12号違反)と並んで、言うまでも無く入口論の争点に膨大な労力を要しました(本案の論点と入口論の論点は平行して審理された)。それも、裁判長の交替とともに、「原告適格」がほぼ突破できたかと思えば、今度は「行政事件訴訟法10条1項=自己の法律上の利益に関係のない違法を主張して取消を求めることができない」の論点を裁判所がこだわり出し、それも何とかクリヤーできたと思いきや、次の裁判長には再び「原告適格」についての科学的立証の補充を求められるなど、数年が費やされました。最も、本件では府が林地開発許可を出していなかったので、工事が進行することはあり得ず、「業者との体力勝負」と認識してじっくりと取組むことができました。
 立証としては、予想される被害については、国土問題研究会の全面的協力を得て、直近の原告の災害の危険性や沿道の原告の工事車両による騒音、振動の被害についての詳細な意見書を作成してもらい、奥西和夫京都大学防災研究所教授の証人尋問を行いました。また、阿部泰隆神戸大学法学部教授には、@原告適格論、A行政事件10条1項論、B権限逸脱・濫用による違法性論の3本の力作の意見書を提出して頂きました。
 また、先行して行われた行政側証人の尋問により、旧許可時の違法開発が、「同和」の名を利用して行われたいかに異常なもので、京都市のこれに対する対応が、いかに不十分なものであったかが明らかにされました。また、原状回復に代わる代替案(A案、B案、C案)を京都市が検討していたにもかかわらず、住民側にはこの事実を秘したまま、密室の中の業者とのやり取りの中で業者の意向に沿って姿勢を転換し、途中から全面 開発案しかないと住民に説明して、自治連から「要望書」を出させた経過が明らかになっていきました。
 そして、ようやく原告本人尋問を裁判所が採用し、審理は最終盤を迎えていました。
4.業者は、他方で、森林法上の開発許可権限を有する京都府知事に対し、「林地開発許可不受理違法確認訴訟」を提訴し、住民側はこれについては被告に補助参加していました(但し、最終的には参加申立は却下)。00年3月になって、業者の訴訟が「処分に該らない」と却下されると、業者は京都府に対して、改めて全面 開発の林地開発許可を求めていました。これに対し、住民側は、京都府に対しては、業者の前記申請を却下するとともに、@ABに沿って、事態の全面 解決を図るイニシィアティブをとるよう、求めてきました。
00年夏頃より、府は積極的に動き出し、副知事が折衝を求めてきました。今般の全面 開発許可の撤回及び是正計画は住民側及びその意向を不十分ながらふまえた京都府のイニシィアテブによるものですが、背景には府は業者の申請を「却下」(この場合は業者が府に取消訴訟を起こすことは必至)する勇気は無く、かといって今更そのまま全面 開発を認めると、住民側から取消訴訟を起こされるうえ、府民の批判を受けるという状況がありました。
これらの経過の中で、今回の是正計画(=3次許可案)が、昨年12月頃に、提示されるに至ったのです。
5.その結果、京都市及び業者は全面開発許可を撤回、断念するに至り、裁判上は勝訴(=取消)したのと同様の結果 がもたらされました。これは、この間の運動及び裁判の大きな成果であると言えるでしょう。
今回の是正計画(3次許可)は、再開発許可と比べて、緑地率が24%から44%、自然林率がゼロから22%と大幅に増加する一方、搬出残土量 が52万立米から28万立米に減少しています。これは、少なくとも当初許可程度の保全(緑地率54%、自然林率32%、残土量 7万立米)を求めていた住民側からすると極めて不十分な点は残るものの、曲がりなりにも一条山が残ることになったものと評価できます。
そこで、原告ら住民は京都市に対し、残された緑地部分を将来にわたって保全することの確約を求めてきました。これに対し、第3次開発許可が出された本年2月28日、京都市長より「改めて(業者に)緑地保全を求めるとともに、今後、残存緑地が良好に保全され、2次開発がなされないよう最大限の努力をしていく」との回答書を受取りました。これを受けて、3月21日の法廷において、原告らは意見陳述のうえ、対象の消滅した「開発許可取消訴訟」を取下げました。
「取下書」の理由の最終部分は、次のとおり結んでいます。
「原告らは引続き、住民や支援して頂いた京都市民、全国の方々とともに、前記@ABの見地に立って、一条山の形と緑をできるだけ保全させること、緑地部分を公有化させること、搬出残土も最小限にさせることなど行政の指導に注目し、あわせて住民との協議の上で開発が実施されるよう求めていく。
最後に、私達は今後も一条山の開発計画を引続き監視していく決意であることを表明し、あわせて、京都市が業者に全面 開発を認め、京都市開発審査会の裁決に従わず、今日まで解決を長引かせた経過については猛省し、開発・景観行政の住民の立場に立った根本的転換を求めて、訴えの取下げにあたっての、理由とする。」
6.一条山は小ぶりになってしまいましたが、かろうじて守られたのです。



No.43.2001.7 8-9月号 2001.08.01

12年のたたかいに幕
〜尼崎公害訴訟、国・公団との和解成立〜

          弁護士 西田雅年(兵庫県弁護士会)

 尼崎公害訴訟は、二〇〇〇年一二月八日、大阪高裁において、一審原告らと国および阪神高速道路公団との間で和解が成立し、ここに約一二年にわたる裁判闘争は幕を閉じました。当日、法廷では和解文書が読み上げられ、期せずして拍手が起こり、裁判長からは、和解にいたる当事者双方の努力だけでなく、原審裁判官に対するねぎらいの言葉も出ました。

 私たちは、一九八八年一二月二六日、国・阪神高速道路公団・公害企業九社を被告として神戸地裁に提訴し、長期の裁判闘争をたたかってきました。
 その結果、一九九八年二月一七日、一審判決前に被告企業と勝利和解するという公害裁判史上大きな成果 を勝ち取り、さらに二〇〇〇年一月三一日、公害被害者の悲願であった差止請求を認めるという画期的な判決が出され、現在もなお続く道路公害が明確に断罪されました。
 この神戸地裁の差止判決は、国民の常識にかなったきわめて適切な判断であったことから、社会に大きな影響を与えました。地方公共団体、自動車メーカー、トラック協会など次々と自動車排ガス対策を発表し、自動車排ガスによる健康被害は社会的な常識であり、その対策の緊急性や必要性は明確となり、もはや排ガス対策「待ったなし」という社会の大きな流れをつくりました。

 大阪高裁は、長期裁判になっていることから、第一回口頭弁論期日前の打ち合わせにおいて、当事者双方に和解勧告を行いました。この中で、裁判所は、判決による硬直化した解決よりも、よりよい道路環境の実現をめざして当事者の話し合いによって速やかに解決すべきであり、「二〇世紀に発生した公害事件を今世紀のうちに解決することをめざして」和解勧告を行いました。そして、二〇〇〇年九月二一日、大阪高裁は、第一回口頭弁論期日において弁論を終結させ、この中で「訴訟進行についての当裁判所の見解」を発表し、ここでも「和解のためのドアは何時でも開けてあります」として、再度和解による解決を促しました。
 これに対して、国・公団は新たな証拠の提出と称して弁論再開の申立てを行うなど、裁判の引き延ばしをはかろうと躍起になっていました。
 他方、私たちは、「生きているうちに解決を」を合い言葉に、裁判所の勧告どおり、当事者における和解による解決をめざし、二〇〇〇年九月二八日の第二三回全国公害被害者総行動において、国に対して早期全面 解決、和解による解決を訴えました。
 その結果、国からの和解の申し出を受け、二〇〇〇年一〇月から当事者双方で精力的に交渉を続け、ようやく和解に漕ぎ付くことができました。

 今回の和解は、きわめて画期的な内容となりました。その主な意義・内容は次のとおりです。
 第一に、今回の和解は、道路沿道の自動車排ガス汚染(SPM)について、神戸地裁の差止判決が沿道住民に生命・健康の被害が明らかに発生すると認めた差止基準よりもさらにきびしく、私たちが本来求めていた環境基準に達するまでの大気汚染の改善を、原告・患者らとの直接の合意という形で国・公団が約束したことです。
 第二に、今回の和解にあたっては、従来の行政特有のあいまいな表現や抽象的な姿勢を許さず、国が行うべき沿道汚染改善のための具体的な施策を明らかにさせ、しかも、その責任主体(責任省庁)、実行の時期などを明確にさせたことです。
 第三に、神戸地裁の差止判決が求めていた差止実行のための具体的な対策が、原告・患者らと国・公団との間で明確に合意されたことです。
 具体的には、緊急の対策として、環境ロードプライシングを実施して尼崎地域を通 行する大型車を当面迂回通行させること、大型車・ディーゼル車の単体規制としては、ディーゼル車の燃料となる軽油の低硫黄化を平成一六年末までに達成させること、ディーゼル微粒子除去装置の装着についての補助金制度を実施させることにより現行のディーゼル排気微粒子の大幅な削減をめざすことなどが盛り込まれました。
 さらに、今回の和解では、従来国が認めようとしなかった大型車の通行規制について、その方策を具体的に検討しはじめることも約束しました。
 第四に、阪神高速道路公団との間で、尼崎東入路建設問題について決着をみたことです。本来、この東入路建設問題は今回の訴訟の対象となっていませんでしたが、一審の結審直前に突然この入路建設が発表され、一審判決後もその関連工事が強行されようとしました。しかし、この入路が計画通 り完成すればさらに交通量が増大し、この地域の沿道汚染が悪化することは明らかであり、また神戸地裁の差止判決の趣旨を没却することになります。そこで、今回の和解の内容に盛り込み、事実上建設計画の凍結という成果 を勝ち取りました。
 第五に、今回の和解では将来的な課題も多いので、原告・患者らと国・公団との間で、本件道路沿道の環境改善のため「連絡会」を設置して、今回の和解で合意した内容の実現確認と、さらに将来のよりよい道路環境をつくる努力をしていくこととしました。

 私たちはようやく、以上のような画期的な勝利和解を勝ち取ることができました。これは、先行してたたかわれた川崎・西淀川・倉敷の各裁判での成果 を引き継ぎ、発展させたものといえます。今後私たちは、尼崎南部地域に青い空を取り戻し、子や孫にきれいな空気をもたらすため、この和解を道路公害根絶の新たな出発点として、新たな公害防止運動を展開し、道路行政にも主体的に参加していくことになります。
 最後になりましたが、尼崎公害訴訟を支援していただいた多くの皆さんにお礼を申し上げ、和解成立の報告とします。


No.44.2001.09 10月号 2001.9.25

「自然環境権法制化の国会請願の採択について」
                   池上 徹(兵庫県弁護士会)

 このたび、自然環境権の法制化を求める国会請願が採択された。請願したのは、関西を中心とする市民グループ「自然環境権の確立を求める会(世話人代表 芝良空)」。昨年9月から、6万6千名の署名を集め、本年4月23日に、衆参両院に署名簿を添えて法制化を請願した。筆者も世話人として、この請願を推進した。

■ 自然環境権とは
 自然環境権は、地域の自然環境を国民全体の公共財として位置づけ、自然の恵みを受ける権利がすべての人に与えられなければならないとする。すなわち、国民に対して、日本のいずれの地域の自然についても、その自然の恵みを受ける権利を認めようとするものである。
 この権利は、日弁連が、昭和61年の徳島での人権擁護大会で、自然享有権として提唱したものと同義であるといってよい。一般 的環境権の類型化に伴う個別的環境権として位置づけられる。
 ところで、わが国では、これまで公害問題への危機感から環境権が提唱されたため、環境権は、地域住民の環境支配権として地域的限定や権利主体の制約を課して論ぜられており、自然環境権が、そのような制約のない国民全体の権利としての環境権であることに留意したい。

■ 法制度化にむけて
 去る6月29日、衆参両院の本会議で、満場一致で採択されたが、これにより、環境権の中で、もっとも公共性の高い、この自然環境権が、まずもって、これから法制度化の軌道に乗ることになる。ちなみに、この請願は、採択と同時に内閣送付になった。このため、内閣(環境省自然環境局担当)は、原則として6ヶ月以内に各議院議長に処理経過を報告しなければならないことになっている。
 しかし、わが国では、環境権一般の法制度化が国際的に大きく立ち遅れている。無論、7年前に制定された環境基本法にも盛られないまま今日に至っている。現在、とりわけ自然環境を国民全体で守る責任があることは、総論では賛成されても、各論の法制度化となると、種々の引延しが憂慮される。
 これまで、わが国の公害環境法制の歴史において、自然環境の保護は、常に後手にまわり続けてきた。昭和46年の公害対策基本法の改正で、はじめて、「自然環境の保護」(法17条の2)が追加されて、政策上の認知を受けたものの、大気や水質などの公害問題の背後に置かれたまま、ともすれば見過ごされてきた。現在もその状況は変わっていない。
 このたび環境「省」の発足に伴い、「自然保護局」が「自然環境局」と改名されたが、これを機会に、公園や珍奇な動植物保護の行政から、このたび採択された自然環境権に対応する行政に向かうべきである。

■ 自然は待望する
 自然環境は、全国民の財産であり、国土の、山も、川も、海も、私たちが祖先から受け継ぎ、将来の子孫の世代から託された預かり物である。
 山塊や丘陵の広汎な切り崩し、海面の埋立てによる空港の建設、干潟や湖沼の締切り干陸化、大規模な河口堰やダムの建設等々の問題が、もっとオープンに全国的規模で語られ、自然保護の見地からの解決が図られなければならない。そしてこの権利は、一般 の国民に、自然保護のために行動する資格を認めることになり、その結果、行政や事業者に対して、広い公益・国益からの検討が不十分な事業、説明責任を果 たさない事業等の強行を抑制するインパクトを及ぼすことが期待される。
 法制化にあたって、克服すべき論点も少なくないが、自然環境権の重要性に鑑み、まずは、その優先的整備を支援すべきである。環境素材ごとに環境権を類型化し、具体的な展開や体系的整備をはかることを強調される議論もある。しかし、それを待っておれないほどに、わが国の自然は、この権利の確立を待望していると考える。


自然環境権の確立を求める請願

請願の要旨
人と自然との豊かな触れ合いを確保するため、
一 すべての国民が、自然環境の恵沢を受ける権利を有することをわが国の環境法令上に明確にすること。
二 さらに国民が、右の権利(自然環境権)を適切に行使する方法等についての立法措置を検討すること。
につき貴議院の格別のお取組みを賜りたくここに請願いたします。

※請願の理由は割愛させていただきます。                              


No.45.2001.10 11月号 2001.10.30

奄美大島瀬戸内町焼却施設反対闘争の経過と今後

鹿児島地裁名瀬支部平成13年(ヨ)第1号 建設工事禁止仮処分申立事件01.09.22 
                   高橋謙一(福岡県弁護士会)

1. はじめに
 瀬戸内町は、いわゆる奄美大島本島の最南端に位置する町で、人口約12,000人(約5,700世帯)、主な産業は漁業と林業という小さな町である。
 本件計画は、今、日本全国の自治体で設置が進められているいわゆる「クリーンセンター」(焼却施設と管理型処分場が一体となったもの)である。但しその処理量 は、焼却施設が日量7トン、しかも8時間連続運転炉というおよそ現在の国の方針に反した計画であった。
2. 経過
 予定地は、7人の共有名義となっていたが、彼らは、昭和30年ごろの網野子部落の役員であった。ここが個人の所有地ではなく、網野子部落(59世帯)の所有地であることは争いがない。問題は、「網野子部落所有地」の意義である(後述)。
 ともかく、部落において、本件土地にクリーンセンターを設置することの是非が議論となり、反対者が少なくとも5名はいたが、「多数決」により、設置に賛成することとなった。そして平成12年5月頃、現在の執行部が部落会議に諮らずに賃貸借契約を締結した。そのことの事後「報告」はあったが、事後「承認」の手続は取られなかった。そこで弁護団が、「本件土地は入会地であり、処分には全員の同意が必要であるから、本件賃貸借は無効である」旨の通 知を町に出し、さらに入会権の専門家である中尾英俊先生(この当時既に弁護士登録をしていた)の意見書も提出した。しかるに、町は、「入会地ではなく、部落有地であり、執行部の同意だけで賃貸できる」と強弁し、計画を推進した。
 そこで平成13年1月26日に、所有権侵害を被保全権利とした仮処分申請に踏み切った。
3. 住民の反対理由
 反対住民は、大きく分けて三つに分けられる。第一が、網野子部落の反対住民9名で、これが債権者であるが、先祖伝来の土地をごみ処分場にされることが耐えられない、というのが主な理由である。
 第2グループは直接影響を受ける下流域の嘉徳部落住民で、部落の環境汚染を恐れ、部落民全体で反対した。なお網野子部落は少なくとも計画地からの直接の流水はない。
 第3が一般市民のグループで、奄美の自然林が破壊されることを絶対に阻止したいと考えていた。このグループはいわゆる『アマミノクロウサギ』裁判支援グループとほぼ同じである。
 この三者が互いに協力して、上記仮処分申請に至ったのである。従って債権者は9名であるが、支援者は100名以上に上る。
4. 争点と裁判所の判断
 本件賃貸が「処分」であることは明らかである。そこで債権者らは@本件土地は入会地であり、従って処分には全員の同意が必要、A仮に入会地でなくとも部落住民共有地であるから、民法251条により、同じである。B仮に登記名義人らの共有地であるとしても、債権者の1人がその登記名義人であるから、その名義人の同意が必要である、という三段構えの主張をした。但し、一緒に弁護をした中尾先生に言わせると、@に決まっており、ABは「素人的発想」だそうである。
 弁護団としては、町側が入会地であることを前提に、「入会権の解体」か、「過半数の同意による処分の慣習の存在」を主張してくるものと考えていたが、あにはからんや、町は「本件土地は入会地ではない部落有地である」という主張を展開してきた。しかし「部落で購入した」という事実を立証できない限り、学問的に間違った主張であり、結局争点は、入会地であることを前提に、「多数決による処分の慣習」があるか否か、となった。それをうかがわせる事実がないでもないが、裁判所は、「本件土地が入会地であることから、その慣習の存否は厳密に認定する必要がある」として、慣習の存在を認めず、債権者側の主張を全面 的に認め、平成13年5月18日に工事の差止決定を出した。
5. 公共性について
 本件土地は入会地で、従ってその処分には部落民全員の同意が必要であることは、私たちには絶対明らかであった。ただ、反対者が1割程度しかいないこと、公共事業に提供されていること、現に工事がどんどん進捗していたこと、などから、『現実』が『理論』を覆い隠し、たとえば「権利濫用」とされたり、あるいはでたらめな事実認定をされたりして負けるのではないかという懸念が強かった。そこで私たちは「本件事業が必要ではないこと」について、相当の時間と労力を費やした。すなわち、・現在の国のごみ行政から見て、ごみは減るから、焼却施設は必要ではないこと、・そもそも本件計画は大型化を進める国のごみ行政に反していること、・本来ごみ減量 の努力をまず行い、その次に施設を作るべきであること、・具体的な減量のためのシステムを提示した上で、それらを実行すれば新しい焼却施設は要らないこと、・町の本音は補助金をもらって「工事をすること」自体にあること、・そして、一定の努力を怠って安易に他人の土地を奪うことは絶対に許されないこと、などを主張・立証した。その結果 、裁判所も「慎重な措置を取らなかったことのつけを債権者らに押し付けることは許されない」として、前記のとおり差止決定を出している。
6. 最後に
 いったん町は債権者らを切り崩すことによる政治決着を図った。しかし反対住民らの結束は固く、町の思い通 りにはならなかった。そのため、先日、町は仮処分異議を提起している。私たちは異議審でも理論的に勝つ自信があるが、理論を磨くよりも、世論を味方につける運動を展開するべく、準備している。


No.46.2001.11 12月号 2001.12.3

幡豆町土砂採取場事件
        籠橋隆明(名古屋弁護士会)

 愛知県幡豆町開発を森林法32条、保安林解除に対する異議意見書提出手続きによって阻止したので報告する。本件開発幡豆町の森林の10分の1近くを失わせる大規模なもので、その土砂は中部国際空港埋立用に用いられる予定であった。

1. 本件開発の概要
 中部国際空港開発では埋立土砂の採取については地元自治体が担当することになっていた。愛知県は1995年9月に「工業用地、住宅用地開発」の名目の下、実施することを明らかにした。開発区域は愛知県幡豆郡幡豆町大字西幡豆地内の通 称弘法山の北部地区にあり、計画地の面積は約149.2haで、造成面積は117.76haである。土砂取り予定の山は、幡豆町の全面 積の約6%(山林の約10%)にも当たる広大なものである。総事業費は約1、300億円と予定され、平成12年度から平成19年度までの間に造成事業により採取した約5、000万立方メートルの土砂は、中部国際空港建設事業、空港島地域開発用地埋立造成事業及び空港対岸部埋立造成事業の埋立材として活用し、土砂は、ブルドーザーや発破により掘削、ダンプカーで投入口まで搬送する計画であった。

2. 開発区域内の自然状況
 開発区域は八幡川と小野ヶ谷川にはさまれた山地にあり、コナラの優占する比較的良好な二次林が広がる典型的な里山である。開発区域内には12科15種の注目すべき種があり、このうちクロヤツシロランは環境庁レッドリスト分類、絶滅危惧1B類、イヌセンブリ、オオアカウキクサ、イヌノフグリは同U類、アギナシ、ヒメコヌカグサは同準絶滅危惧種である。哺乳類では注目すべき哺乳類であるニホンザルをふくみ6目9科11種、鳥類は12目29科85種が確認されていて、うちオオタカ、ハヤブサ、コアジサシ(希少野生動物−種の保存法−)カワセミ(県条例)など7目10科20種が注目すべき種を占めている。両生類ではカエル、爬虫類ではトカゲ、ヘビ、昆虫類では15目174科747種が確認され、その中には県条例に基づき保全策を講じなければならないとされるゲンジボタルが含まれている。

3. 保安林解除手続き
 本件開発区域では94筆、26ha、土砂流出防備保安林が存在する。事業面積が約149haであるから17%強が保安林であり、今回解除の対象となる保安林の面 積は事業面積のうち約11%ということになる。本件保安林解除に当たっては、計画区域及び周辺への災害発生が危惧された。保安林を森林以外の用途に転用することは可能な限り抑制されなければならない。「保安林の転用に係る解除の取扱い要領」(平成2年6月11日、2林野治第1858号 林野庁長官通 達)によれば、解除に当たっては当該開発が他の土地で実施することが著しく困難であること、A転用面 積が必要最小限のものであること、B代替措置が確実に講じられ、機能すること、C事業の実現が確実であることなど厳しい要件が定められている。これらの要件から言っても本件では解除は許可されるべきではない。

4. 運動の展開と勝利
 このような巨大開発に対し、地元住民を中心に反対運動が展開された。中部弁護士会連合会も意見書を提出した。本件については中部国際空港弁護団も取り組み、費用の支出を差し止める住民訴訟が提起された。こんな中、住民運動、弁護士らは保安林解除手続きを利用して運動を進めることを決めた。保安林解除手続きでは森林法第32条は関係住民に異議申立の機会を与えている。幡豆町の自然保護団体は全国各地に異議意見書への参加を呼びかけ、全国から一六〇〇名の意見書が集まった。運動側は何度も林野庁に足を運び保安林解除をしないよう求めた。しかも、われわれは手続きを遅らせるための様々な工夫を重ねることに成功した。その結果 、保安林解除手続きの見通しは、全く立たない状況となり、平成13年3月2日、愛知県は本件開発を断念するに至ったのである。
 青秋林道の例を出すまでもなく、保安林解除手続きにおける異議意見書提出運動は全国各地で大きな成果 を上げてきた。これに対し、林野庁は通達を改正し、異議意見書提出に際して申立人が当該開発に対し「直接利害関係あること」を証明する書面 を添付することを義務づけた。そこで、運動側は直近土地所有者などの協力を得て、賃貸借契約を締結することとした。契約書は意見書の一部を利用するので、参加者は一つの書面 に、異議申立書分と賃貸借契約書の分と2回署名することで提出の要件を整えることにした。


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